やすみの日記

やすみの日記。

「なんで自撮りしているんですか?」

「やすみちゃんはいつも自撮りしているイメージがある!」

そう言われたのは大学一年生の秋。

友人に言われて「あ、私自撮りめっちゃする人なんだ」と自覚した。

というのも、SNSに数枚載せただけなのだが、他の人が全く載せない分多く見えたのだろう。

それでも、何だか恥ずかしくなってしまい、それ以来友人とつながっているアカウントでは自撮りを載せなくなった。

 

「自撮りをSNSに載せるのは意地汚い承認欲求から来ている!」

みたいな言説をよく見かける。私も昔はそう思っていた。

実際に自撮りを載せる時は「誰かに褒めてもらいたいな」と思っているし、間違いではないだろう。

 

でもその欲求って誰にでもあるものだ。マズローもそう言っている。

承認欲求が作用することで人は作品を発表するし、その行動によって胸を打たれる人がいるのだ。

じゃあなんでこれだけ自撮り文化が嫌われるのか、なんとなく述べていきたい。

 

いってみよ~

 

①最近生まれた文化だから説

自撮りが発達したのはおそらくスマートフォンの普及に伴っていると推測する。

私がスマートフォンを手にしたのは高校一年生なので、多感な時期にスマートフォンを手に入れた世代は(特に女性)自撮りをしたことがあると言っても過言ではないだろう。

言い過ぎたかもしれない。

とにかく、それよりも上の世代には自撮りをするという文化があまり芽生えなかった。ともすれば、懸命に写真を撮っている姿を不思議に思うのも無理はない。

 

②作家と作品の距離近すぎてキモい説

作品というものは、常に作者の性格と切り離されて考えられるものだ。

「この人嫌いだから作品も嫌い!」なんていうのはもったいない話で、とんでもない人がとても繊細な文章を紡ぐことは多々ある。

作家は自己を投影する人ばかりではなく、わずかに生まれたアイデアをじっくりと練り、作品を作る人も居るのだ。

個人的な意見として、自撮りによって生み出されたデータは作品であると考える。

しかし、写真自体は作家本人であるため、どれだけ加工を施したとしても、根っこは本人そのもの。

そのため、承認欲求があさましく見えてしまい、絵や文章とは違う枠組みで捉えられてしまうのではないだろうか。

これは結構的を得ている気がする。

 

③受け手のコンプレックス刺激しまくり説

自撮りはいわば顔面至上主義に基づいた趣味である。

最初は加工といっても些細なものしかなかったため、自身の容姿に自信のない者は自撮りレースに参加することができなかった。

(えっ!じしんじしんがないだって!おもしろ)

しかし、最近は加工技術が飛躍的に進歩し、目や口の大きさや位置、輪郭の調整、肌の汚れを消去するまでできるように。

また、化粧やカラコンの技術を投入すれば、平均的な容姿を持っている女性ならめちゃかわ~な女の子に変身することができるようになったのである。

しかし、それらの技術をもってしても、なかなか自分が納得のいく承認を得られない人間もいる。

彼らの敵は己の顔面にあるのだが、SNSなどで無双している人間を見れば羨ましくなるのも仕方ない。

でもそれで恨みつらみをSNSに書くのは違うだろ。

 

共感性羞恥

実のところ、自撮りって後々見返すと「うわ何だこのどてかぼちゃ!」となることが多い。

それでも、撮った瞬間は「いけてる!」「可愛い!」と思い、人に見せている。

つまり、自分ではいけてると思っていても、周囲から見たら「なんじゃこりゃ」となっている可能性が大いにあるということである。

皆様にも、そのような経験は無いだろうか?

「これ、オシャレだと思って使ってたけど、めっちゃダサいな!」

「写真でこのポーズするの好きだったけど、かっこわるすぎ……」

そういうことを思い返すと、思わず頭を抱えて「ぐぐぅ」とうなってしまう。

そして、それを他人がやっていても、自分が辱めを受けた気持ちになって「ぐぅう」と床に伏してしまう人間がいるのだ。それを共感性羞恥心という。

「もしかしたら……自分は他にも同じような過ちを……」

私も考えたら胃が痛くなってきました。次に行こう。

 

④すべてはSNSが悪い説。

正解が出ました。

老若男女善人悪人かわいいもかわいくないもごった煮のmelting potでは、争いは起きても仕方ないのです。

今日はあっちが燃えている。

あっちでは人間が凍結している。

あちらでは不祥事が、こちらでは人の死が。

自撮りに対してブスというものあれば、AV女優に対して「揉ませて❢」というものあり。

炎上もせず、政治に口出しをせず……

 

炎上ニモマケズ
質問箱ノ悪口ニモマケズ
低気圧ニモ凍結ニモマケヌ丈夫ナアカウントヲモチ
欲ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニ呟イテイル
一日二十四ツイート程度発信ヲシ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ(アル程度ハ忘レタホウガヨイ)
フォロワートフォロー数ガソレナリニ同ジクライノアカウントニイテ
東ニメンヘラノオンナアレバ行ッテ「なでなで(*'ω'*)」ヲシテヤリ
西ニツカレタ母アレバ旦那ト姑ノグチヲ聞イテヤリ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ巻キコマレナイヨウ眺メ
ヒドリノトキハ「ぬるぽ」ト呟キ
サムサノナツハ「【朗報】冷夏」ト呟キ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ

 

……

はっ。

宮沢賢治になっていたような……。

 

なんとなくまとめてみたが、結構的を得ているのではないかと思う。

一番の疑問としては「自撮りを載せている人が自分のことブスって言うのは何で?」だろうか。

これに関して自撮りをする人間としてお答えすると

 

自分のこと可愛いと思っているし、不細工だとも思っている。

 

が正解です。

自分の顔を研究し尽くしているからこそ加工ができるわけで、自分のコンプレックスを熟知している以上、どれだけ可愛く仕上がったとしても「でも元は可愛くないから…」となってしまうのだ。

芸能人でもなければ、大体の人間は容姿のコンプレックスに苦しめられているし、コンプレックスから逃れるためにいろんな手段を講じていると思う。

なので、近くの自撮りしている人間が不安定になっている時は、その子を可愛いと思うなら「可愛いよ」と言ってあげればいいし、可愛いと思わないのであれば「大丈夫?」と聞いてあげたらいいと思う。嘘をつく必要はない。

私は最近KEMIOの動画にハマっているので「この世、かわいいかかわいくないかで決めたら良くない?」の気持ちでいる。

そんな気持ちでいたらトンチキな服を買ってしまい、トンチキな髪色になってしまった。

でも私からしたらとってもかわいいからOK!

 

よって自撮りが忌み嫌われる理由として最も最適解なのは……

 

SNSが発達したから!!!!

 

「もう自撮りを見たくない!」「自撮りを馬鹿にされたくない!」という意見については

 

SNSをやめろ!!!!!

 

以上で考察を終了したいと思います。

 

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暫定一位の自撮りです。

おわりでーす