やすみの日記

やすみの日記。

距離感マジでつかめない人生

みなさ~ん。

 

距離感を掴むのって得意ですか~。

 

私は苦手で~~~~~す。

 

こんにちは。子来まことです。

立て続けに距離感って何なんだろうというイベントに出くわしたので、文章にまとめてこのモヤモヤをある程度解決してみようと思います。

卒論や課題の提出が差し迫っていますが、あまり気にしていません。

 

 

私は自分から相手に近づくという行為があまり得意ではなくて、昔に比べたら質問したりとか、話を聞くとかはできるようになったのですが、スキンシップまではなかなか行けない人でした。

(お酒を飲むとそれが全て取っ払われるので、全人類にハグをしてしまうのですが、気を付けたいところです。)

婚活パーティとか、マッチングアプリとか、そういった出会いの場では、ある程度お互いに好意が無いと近づかないという前提があるので、普段よりは近づけるイメージがあります。

しかし、お付き合いまでいくと、途端に相手が冷たくなってしまい死んじゃったのかな?という出来事があったので、恋人だからと言って距離感を詰めすぎるのは良くないと感じました。

とはいっても、それまではかなり好意的に接してくれていたわけで、釣り上げた魚にエサはやらないってやつか~~~別れて正解だな~と思ったりもしたわけで。

 

何が言いたいのかというと、こういった距離感の掴み方を未だに悩んでいる私という人間がここにいますということです。

 

私はそれ程好意的に感じていない人間でも、長年の付き合いがあれば遊びの誘いには乗ります。それは、断って相手の気分を害すよりは、遊んで自分が少し嫌な思いをしたほうが楽だからという考えがあります。

本当に大切な友達の方が遊びを断ることが多くて、それはなぜかというと、大好きだからこそ少し甘えてしまって体調の悪さが顕著に出てしまったり、どうせ遊ぶならちゃんとお金がある時にしっかり遊びたい!ていうかそうじゃないと相手に申し訳ない、という思いがあるからです。

そもそも、大切な人は自分から誘うようになりました。進歩だね♪

 

とまあこんな具合で、私みたいなのでも遊びに誘ってくれる人は大事にしようと思っていたわけですが、あまりに距離感を間違えた人から遊ぼう!と言われたときはさすがにいいよと言えなくて、でも断ることもできなくて、お~……ほほ(笑)みたいな反応を繰り返しまくってしまいました。

断るのってかなり労力がいるじゃないですか。後から相手の気持ちを考えたりして凹んだりしてしまうので、結局自分の体調に影響が出て終了~みたいにもなるし。

 

断るで思い出した。

コンビニで働いていた時に、お客さんから「明日遊びましょう!」と言われた時もしっかり断ることができなくて、パートさんから怒られてしまったことがありました。

「断らなかったあなたが悪い」と言われたけれど、そもそもコンビニは出会いの場ではないし、仕事中にイレギュラーなことを言われて混乱するのは仕方がないことで、なんで私が……私が悪いのか……とずっとモヤモヤしていました。

毎週お休みの日に私のレジにだけ来るお客さんには、「今日も可愛いね」「どうしてマスクをしているの?僕に顔を見せないため?」と言われて、それでも笑顔で対応しなければならないことが苦痛でした。

人に話すときは笑い話にできたとしても、どうしても断れない自分へのいら立ちや、いったい私の何がダメなんだろうという自問自答でかなり疲れてしまう、のが、今でも続いています。

祖母にこの話を笑い話として伝えたら「それは全く面白くない」と心配してくれて、あ、やっぱり違うんだ、と安心しました。最近の話です。

 

手を握られたり、頭を撫でられたり、お付き合いをしていない相手からされる経験がある人もいると思います。

アイドルやコンカフェのキャストさんと、ハグをしたり、密着したりといったことは何も苦しくありませんでした。そこには相手への好意があって、近づきたい!という憧れに似た気持ちがあるからだと思います。

しかし、全く興味のない、しかもそれほど親しいわけでもない人からされるのは全く感じ方が違いますよね。びっくりして声が出ないし、断ることができない自己肯定感の低さが災いして、パーソナルスペースをめちゃくちゃ侵害されてしまう辛さは……何とも言えない気持ちです。何より「そこまで気を許してしまった」ように見せてしまった自分への自己嫌悪がすさまじくて、死んだほうがましだということで、先日は死にかけていました。

 

「こうしたら?」「断ったら?」という意見は正論で、そうできたらどれほど気が楽だろうかと思います。でも、それができないからこそ私はこの年まで生きづらさを感じているんだろうし、そもそもなぜ、被害者が行動して阻止しないといけないのか、みたいな気持ちもあります。

拒否するときの居心地の悪さ、皆さんはどう解消しているんだろう。喧嘩別れのような形で縁を切った人間はいましたが、余程怒りに任せないと拒絶することは難しかったです。

 

距離感を間違えることはきっと誰にでもあります。そうした時に「ダメだよ」と教えてもらうことって、本当に稀だと思います。

だって、親しくなければ教えてあげようなんて思わないし、不快に感じた時点でその人との関係はできる限り曖昧なものにしようと思う人が多いと思うから。

私は、今回嫌だなと感じたことをこうして昇華するだけで、きっと本人には伝えないです。できるだけ関わりたくないし、その人と関われる人間だけが関わればいいと思うから。

 

障害だから仕方ないよね、という言葉は使いたくないし、自分にも適用させたくない。障害だからって相手に嫌な思いをさせたと感じたら謝らないといけない。

それは人間ならしなければならないことだと思います。

以前「アスペだから~」と言いながら不快な発言をしてきた人がいますが、障害があるからって人に不快な言葉をかけて良いことにはならないよ。

 

私にとって、悪い思い出は3年程経たないと消化できません。「あんなこともあったよな」と思うのにそれだけの時間がかかる。調子の悪い時は長い時間がたったとしても、ふと思い出されて苦しい思いをすることもある。

誰でもそうだと思います。私だけではなくて、苦しい思い出に頭を支配されることは誰にだってあります。

誰かの嫌な思い出にならないように生きるのは難しいけど、ポリシーとして持っておくことは大事。だからといって、相手の気持ちを慮るばかりに自分が嫌な思いをするのもまた違う……ですね。

 

 

結局断れない私がきっかけを作ってしまったのなら、距離感を今後はどう測っていけばいいのか、難しいところです。

愚痴ばかりでごめんなさい。皆さんも一度は考えたことのある話題だと思うので、何か意見があれば教えてくださるとうれしいです。