演者と私
昔から、ステージに立つ人に憧れを持っていた。
それは芸人やバンドマン、アイドルなど全ての演者に対してである。
私自身も、文化祭やサークルなどの企画で何度かステージに立ったことがあった。
自分にできる精一杯をやり、観客を喜ばせる。とても難しいことであったが、成功したときは何物にも代えがたい喜びを感じることができた。
スポットライトの光に負けないくらい、自分は輝いていると実感できた。
時は流れ、今。
私はサークルを辞め、留年し、休学をし、何となく免許を取り、全く運転をせず、障害と向き合いながらどうしようもない日々を過ごしていた。
好きだったアイドルにも感動できなくなり、想像力だけが取り柄だった頭もうまく働かない。外に出る気もしない。風呂にも入りたくない。本も読めなくなり、いよいよ終わりだと思った。
閉鎖病棟で熱心に書いていた小説さえも、今は棚にしまわれたまま。
きっと。
何となく過ごす毎日がぼんやりと続いて、ぼんやりと死んでいくんだろう。
アルバイトも長く続かない私は、社会につまはじきにされて、一生人に迷惑をかけながら、自殺もできず、真綿で首を絞められるような日々を送るしかないんだ。
卒論にも手がつかないまま、布団の上で天井を見つめていた。
少し昔の話をする。
元々でんぱ組.incが大好きで、ねむきゅんの卒業公演は岐阜から東京まで遠征した。
不安も色々あったけど、東京で会ってくれた人のおかげで何とか気力を保ち、大好きなアイドルを肉眼に収めることができた。
アイドルはとてもキラキラしていて、完璧で、美しくて、少なくともステージ上では最高のパフォーマンスをしてくれる存在だと思っている。
元気や生きる希望を与えてくれる。でんぱ組に救われたという人も見かけたことがある。私自身も、彼女たちのおかげで何度か外に出ることができた。
とても感謝している。
ちょうど遠征を終えた後、数少ない友人と会って映画を観に行った。
その時勧められたのが「アイドリッシュセブン」である。
アイドリッシュセブンとは…
二次元男性アイドル。通称アイナナ。元々は音ゲー。16人のアイドルがいる。
シナリオが面白い。白井悠介さんが声優をやっているキャラクターがいる。
実は以前も勧められてやってみたのだが、急に顔の良い人間がバスケットボールを始めて意味が分からなかったので放置していた。
あまりにもオススメされたので、まあ話のネタになるし、数少ない友人の願いくらい聞かねばな…と思い、久々に起動してシナリオを読み進めてみた。
…。
………。
おもしろ~~い!!!
あっという間に3部まで読み進め、4部開放を待ちわびていた。
その間に友人のはからいで、アイナナのライブDVD上映会を開いてもらった。
(ヒプノシスマイクも布教してもらっていたので、その話もした)
ヒプノシスマイクとは…
二次元ラッパー。12人の人間がいる。
公式がチケット販売のお知らせをあまりしない。白井悠介さんが声優をやっているキャラクターがいる。
アイナナのライブはとても素晴らしく(お金もかかってる)、カラオケで絶叫しながらペンライトを振り回していた。
ライブに行こうね!なんて言いながら友人と別れ、素敵なコンテンツがたくさんあるんだなあ…と嬉しくなった。
しかし、時が過ぎれば感動も薄まり、精神的に調子を崩してからは雪崩のようにポジティブな感情が失われていった。
あれだけ感動していたものに感動できないという怖さと、このまま一生ぼやけた人生を送るのかと思うと少し悲しくなった。でも涙は出なかった。
時間を今に戻そう。
アイナナは7月6日と7月7日に2ndライブがあった。
「REUNION」、再会を題名に掲げ、彼らは再びステージに帰ってくる。
残念ながら現地のチケットは取れなかったので、地元の映画館でライブビューイングを見ることにした。
正直、現地に行ったとしても感動できないだろうし、何より体調が心配だったので、取れなくてよかったな、とも思っていた。(去年のライブがとても暑そうだったので…)
当日になるとSNSには現地に赴いた人たちの興奮したツイートや、フラワースタンドの写真などがずらりと掲載されていた。
「なんだかお祭りみたい…」と眺めているうちに、体調の悪さを忘れられた気がした。
少しだけウキウキして、親に見送られながら映画館に向かった。
薄暗い映画館の中を進み、座席に座る。しばらくすると会場の風景が映され、一気に緊張感が増した。
「あれ、私、緊張してるな…」と面白くなってきた。
座席が埋まり、程なくしてから音楽が鳴り始めた。
ライブが始まる。私の手は震えていた。(振戦じゃないぞ)
ライブ中は、今まで眠っていて感情が目を覚ますような出来事ばかりだった。
泣いたり笑ったり、興奮したり熱狂したり。
人間が作り上げたものでこれだけ感動することができるなんて、外に出なきゃ気づかなかった。
幸せ者だと思った。本当に生きててよかった。そう思った。
演者という存在が、ステージが、スポットライトが、ライブを作り上げた全員が、私というちっぽけな存在の命を生かしてくれた。
時が経てばこの感情を忘れて、また手探りの毎日が始まるかもしれない。
そうだとしても、今は彼らが照らしてくれた道を突き進みたいと思う。
2日ともライブビューイングが見られたのはとても良いことだった。
2日とも感情を揺さぶられ、4時間にも及ぶライブにもかかわらず「この時間が終わってほしくない!」と本気で思っていた。
上質な体験というのは、本当に素晴らしいものですね……。
めっちゃお金かかってそうだし。お金めちゃ大事。
かといって、全ての人間がアイナナで感動するかと言えばそういうわけではない。
感動のポイントは人によってまちまちだから、押し付ける気はさらさらない。
でも、人間は人が作り出したものに対して感動ができなくなると、人間に絶望するのもあっという間だと思う。
爆笑問題の太田光さんも「感動することが大事」みたいなことを言っていたし…。
(当時は「うつ病の人間が感動できるかよ」とムカムカしていた)
感動を手に入れるためには、やはり外に出なくてはいけないし、色々な物を見聞きする必要がある。うつになるとそれがどれだけ難しいことかも分かる。
私はまだ動くことができたから、運よく「感動」に巡り合うことができた。
小さな幸せを積み重ねることも大事だけど、運命的な感動に出会うこともきっと大事。
「人間って捨てたものじゃないな」と思うことも、大事!
障害者だろうが健常者だろうがとんでもない人はいるけれど、それ以上に素敵なものを作る人が居ることを忘れたくないな。
感動ってライブ以外にもたくさんあって、アニメや映画、芸術品、本、食べ物とか、とにかく色々な場所にちりばめられている。
私は昨日まで「メンマはタケノコからできている」ことを知らなかったし、「枝豆は大豆の未熟なやつ」だということも知らなかった。数年前までは「和三盆はフランスのお菓子」とさえ思っていた。(熟しすぎたパイナップルはヤバいので検索しない方がいいです)
つまり、頭が悪い。頭が悪いからこそ摂取できない感動もある。(本とか芸術品、映画など)
一方で、純粋で素直だからこそ、まっすぐに思いを受け取ることもできている…と思う。
オタクの流行にも乗れないし(アイナナとヒプマイは奇跡的に乗れた)、パリピの流行にもあまり乗れない(タピオカは美味しい)。
でも、自分の好きなものに対しては、自分に無理のない範囲で楽しめる。
地球には魅力あるものが溢れている、そう思えるうちは存分に満喫しようと思います。
私がこれだけ長文を書くことができたのも数か月ぶりです。
まとまった文章を見ると、例えば140字のツイートさえも目がチカチカして見られなかったので、本当にアイナナのライブには感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます。
演者の努力や精神力があってこそ、あの素晴らしい景色を見ることができる。
演者に憧れた時期もあったが、私には到底登ることのできない場所なのだろう。
自己を律して、時には別人格を憑依させるような振る舞いは、本当に、本当に並大抵の人間にできることではないと思う。
私は、凡庸には劣る苦学生だ。
これからも素敵なものに出会いながら、生きていきたい。